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使える知識こそ大切

使える知識はどのくらいある?

   私は、小学校から大学までに学んだ知識のなかで、実際の仕事や生活で使っている知識はなんだろう、とよく考えます。使える知識は、小学校までに学んだ知識がほとんどで、(先生として生徒を教えるときは別として)中学校以上になると、漢字や断片的な知識ぐらいしか見つかりません。大学時代に、ゼミで学んだことは特別に役立っていますが、それは、私が人生に役立てようと思ったからであって、それ以外に使えるものを見つけ出すのは困難です。特に中学、高校は、テストのために勉強した、といっても過言ではないでしょう。テストが終わったら(テストの前から?)どんな知識も使われることなく、すっかり忘れてしまうような勉強のしかたでした。

  今から考えると、二度としたくないようなひどい勉強のしかたですが、友人の学生時代の話しや、学生のアンケート調査の結果などから見て、私はごく一般的な学生時代を送ってきたように思えます。特にオイルショック後の知識偏重、学歴偏重の時代が私の学生時代ですから、なおさらです。

  学校で学んだ知識を有効に使っている方は立派です。本当に理解していたのでしょう。まさに、理想の姿といえます。しかし一般的には、学校で学んだ知識を、使えない知識として持っていることの方が多いようです。

使える知識とは

   使える知識とは、仕事や生活で直接使う技術、つまりお箸の持ちかた、ゴミの捨てかた、電話のかけかた、車の運転のしかた、パソコンの使いかたのような、実用的な知識だけを指しているのではありません。正しく理解し、適用できる知識のことです。

  使えない知識とは、つぎのようなものです。夏目漱石が、我が輩は猫である、という本を書いたことは知っているが、その本を読んだことがなくて、内容を知らない。公式は覚えているが、何に使う公式かは知らない。聖徳太子が摂政になったことは知っているが、摂政がなにかを知らない。因数分解のやり方は知っているが、因数分解が何かは知らない。シャープがいくつあるとなに長調かは言えるが、音符が読めない。英語の平叙文を疑問文にかえることはできるが、英語の本は読めない。はいきゅうを漢字で配給と書くことはできるが、配給がどんなものかは知らない。バッハは音楽の父といわれているらしいが、なぜ音楽の父なのかは知らない。法隆寺がインド文化の影響を受けていることは教科書で読んだが、当時のインド文化がどんなものかは知らない。などなど、テストのために覚える知識をあげれば、いくらでもでてきます。

  これを逆にすると、使える知識となるわけです。「夏目漱石が、我が輩は猫である、という本を書いたことを知っていて、その本を読み、内容を知っている。公式を覚えていて、何に使う公式かを知っている。」といった具合です。

使えない知識になる理由、そのⅠ~知ってるつもり~

   上記の例を見れば、テストのために丸暗記するような勉強が、如何に使えない知識を作るのかが分かります。使えない知識製造機といったところでしょうか。まったく役に立たない勉強です。むしろ知らない方がマシなこともあります。なぜなら知っていると、こんなことが起こります。

 「夏目漱石が、我が輩は猫である、という本を書いたことは知っているが、その本を読んだことがなくて内容を知らない」人に聞きました。「夏目漱石の、我が輩は猫である、って本、知ってる?」「もちろん知ってるよ。」

 「聖徳太子が摂政になったことは知っているが、摂政がなにかを知らない」人に聞きました。「聖徳太子が摂政だったって、知ってる?」「そのくらいは当然、知っているよ。」

「バッハは音楽の父といわれているらしいが、なぜ音楽の父なのかは知らない」人に聞きました。「バッハって、音楽の父っていわれているんだよね。」「ああ、偉大な人なんだよ。」

「法隆寺がインド文化の影響を受けていることは教科書で読んだが、当時のインド文化がどんなものかは知らない」人に聞きました。「法隆寺がインド文化の影響を受けていることはご存知ですか?」「ええ、よく知っていますよ。勉強してますから。」

  さて、この使えない知識を持っている人は、気の毒なことに、自分が知っていると思っています。知ってるつもり状態です。ですから、この人は、これ以上勉強することはないでしょう。これが勉強をできなくする大きな壁です。勉強したがらない理由、勉強しなくてもよいと考える理由のひとつです。

  しかも、もっと悪いことに、「夏目漱石が、我が輩は猫である、という本を書いたことは知っているが、その本を読んだことがなくて内容を知らない」としても、テストで、我が輩は猫であるの作者は、という問題に、夏目漱石と書けば○がもらえるのです。なにをテストしているのでしょうか? 入試ともなれば、合格が目標であり、結果ですから、勉強した知識が使えるかどうかは、誰もまったく関心がなく、合格さえしてしまえば、それを問われることもありません。知ってるつもりにますます拍車がかかり、無知に磨きがかかります。

  人が勉強するのは、自分が知らない何かを知るためです。自分は知っていると勘違いしている人は勉強しようとしませんから、その人に教えることすらできません。自分は知らない、ということを知っていれば、勉強することができ、向上することができるのです。

使えない知識になる理由、その2~答えを出すことに力をそそぐ~

   テストで点を取るための無意味な勉強が、使えない知識を作ることは分かりました。それ以外にも、教える側も熱心に教え、教えられる側も熱心に学んだとしても、使える知識になりにくい場合があります。

  中学生に「方程式とはなに?」と聞いてみてください。「Xを使っている式」ではまったく分かっていません。「2x+3x=」はxを使っていますが、方程式ではないからです。「Xをだせばいいんでしょ?」という答えはまだいいほうです。しかしこれは計算技術を知っているだけで、方程式の概念を理解して使う力はないといえるでしょう。

  辞書には「ある文字のとるべき数値を決定する条件を等式で表したものを、その文字に関する方程式という」とあります。難しい言い回しですので、生徒にこのまま理解させるのは困難ですが、どんなものかを、具体的に知っておくべきです。たとえば、文字xを3倍して60になるという条件で決定することを表すには、3x=60という等式を書きます。これを具体例でいうと「1こx円のりんごを3こ買ったら、60円になった。これを式にすると、3x=60。だから、1この値段は20円。」このように、具体例に置換えられることが重要です。

  学校での指導は、先生によってかなり違いますので、一概にはいえませんが、教科書を見る限り、計算技術にばかり意識がいくのは、2つの理由があるように思えます。

  1つ目は、定義の理解のしかたです。ある教科書には、方程式を次のように定義しています。「式のなかの文字に、ある値を代入すると成り立つ等式を、方程式という。」この定義を理解するときに、方程式が何のためにあるのか、どんなことに使われるのかを、生徒がしっかりと理解するまで説明しないと、生徒はテストを意識して、ある値のもとめ方(つまり計算の仕方)ばかりに気を取られるようになります。

  2つ目は、授業のはじめに、計算に多く時間を使うということです。方程式はなにか、という説明のあと、計算の習熟に、随分と長い時間が使われます。計算ができてこそ使えると考えれば、計算が先となりますが、方程式が何かを理解できていないのであれば、学んだ計算は意味がなくなります。

  方程式は難しいからそうなる、という人がいるかもしれませんが、答えをだすことばかりに気をとられて、本当の意味を理解していないことは、簡単な記号でもよくあることです。たとえば「=」です。これは、=の左辺と右辺が等しいことを意味しています。2+3=5というのは、2+3と5が等しいことを意味しています。ところが、生徒の多くは=の意味は知らずに「左辺の計算の答えを右辺に書く」とだけ理解します。これでも、小学3年生くらいまでは、テストで○をもらい続けます。しかし、文字式になって、3×x=6で突然混乱します。なぜなら、右辺にはじめから答えがあるからです。3×xをやろうにも、xが分からないので計算できません。「なにがなんだか分からない~!」ということになります。

  以前、混乱している生徒に、このことを説明するとき、「2+3=1+4」と書いたら、「違うよ。2+3=5と書かなければいけないんだよ。右には答えをかくの!」と生徒にいわれたことがあります。このあと、私の説明を聞いて、=の意味を理解した生徒は、本当にすっきりした表情をしていました。

  「+」や「-」、「×」や「÷」といった記号も同様です。「÷」の意味を、いくつかに分ける、という程度にしか理解していない場合があります。「÷」は、同じ数に分けるという理解が必要なのです。しかし、計算の答えは正しく出せるので、テストで生徒の無理解を見つけるのは困難です。中学でも「関数」という言葉の定義は難しく、理解していない生徒が多いようです。

子どもたちを正しい理解に導き、知識を使える知識に

   最近の学校の教育は、教師の努力によって、大きく変わってきているようです。その努力には敬意を表したいと思いますが、現状をみるかぎり、自分たちの子どもが苦しまないように、自分たちでも子どもを守っていく必要があるでしょう。なぜなら、いまだに、正確に理解していなくても、答えさえ出せればいい点がとれて、偏差値のいい学校にいけるからです。受験対策の問題をできるだけたくさんやって、問題を解く方法をたくさん覚えることがいい点をとる近道だからであり、ほとんどの子どもがその道に迷い込むからです。

  さて、皆さんは、大切な子どもの時期に、使えない知識の勉強に時間を費やすことが、無駄だとは思いませんか。私は、学校の教育が無駄だと言っているのではありません。私が問題視しているのは、勉強したことが、使えない知識になることです。ただ覚えるだけ、テストの点を取るだけ、丸暗記するだけの知識は、何の役にもたちません。大切なのは、本当に理解することです。本当に理解することこそ、人の能力を高め、学ぶことの楽しさを実感させてくれるものです。

  いつのまにか「勉強は苦しくてもがんばるもの」という考えが定着して、なかなか変わりそうにありません。それもそのはずで、どこの指導も、内容を理解させて楽しくさせようとはしておらず、いい点を取らせて楽しくさせようとしているからです。いい点をとって成績が上がること、これこそ今の社会の価値観であって、それを実現することで子どもたちは認められ、勉強が楽しくなるという流れがあるからです。

  しかし子どもたちが、心から勉強を楽しむには、本当に正しく理解すること、使える知識を持つことが必要です。理解することなくいい点を取った表情と、正しく理解したときの表情を比べれば、おのずと、どちらが大切かという問に対する答えがでます。そして、結果的には、正しく理解した方が成績もよくなり、社会でも成功するのです。

 

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